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第3回アート・ミュージアム勉強会議事録

内容:アート・ミュージアムに関する本をそれぞれが紹介、ディスカッション


在日の恋人在日の恋人

高嶺 格

河出書房新社 2008-12-04

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【紹介者:古賀希望】

1968年生まれの美術家。 インスタレーション、映像など幅広いジャンルを作製。
 『木村さん』:パフォーマーとしても知られる木村さんを、高嶺が介護したことがきっかけとなって生まれた作品。
 『God Bless America』:映像作品。アメリカへの嫌悪感自身の中のアメリカ的な部分を発見したという。
 書籍『在日の恋人』は、当時ソウルを拠点に活動していたパートナー・貴月さんとの日常や、自身の制作過程等を綴ったもの。
2人の生活プロセスを文章化したようでもある。
2人の結婚式の写真を展示したインスタレーション作品『ベイビー・インサドン』が前回(2010年)の六本木クロッシング展等で展示された。

ポイント→ 社会問題を扱う作家であるが、どれも自身が当事者としての視点から見ている。 社会問題といっても、日々の生活を映し出すことで表現している。
"差別はなくすべき"という文脈の中で用いられる、"国籍なんて関係ない"という感覚="ニュートラルな国際感覚"への危機感を持っている。
 "差異"は認め、それぞれのルーツも大切のするべきという考え方なのでは。

 【質問】
Q.なぜこの本を選んだの?
A.自分の本棚を見たら高嶺さんの本を複数所有していて、自分自身興味持っているんだ、気づいたから。 社会問題を自分事として捉え、人それぞれのバックグラウンドを尊重して理解しようとする姿勢に関心。

Q.美術館に展示された写真作品とこの本との関係はなんでしょう?
A.写真インスタレーションは『ベイビー・インサドン』。 結婚式も高嶺さんは和服、奥様はチマチョゴリと、服装は伝統的であるが、ドラッグ・クイーンを招いたり、一味ちがう結婚式だったよう。 書籍同様、プロセスの集約という感じ。人柄も感じとれる。

Q.高嶺格といえば、80年代話題となったアーティストグループ”ダムタイプ”の一員であったが、 そこでは何をしてたんですかね?
A.高校生の頃からダムタイプのメンバーと関わりがあったとのこと。多彩な活動をしていたようです。ダムタイプの作品「S/N」にも出演しています。

Bゼミ-「新しい表現の学習」の歴史 1967-2004Bゼミ-「新しい表現の学習」の歴史 1967-2004

Bゼミ Learning System

BankART1929 2005-10-28

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【紹介者:濱中峻】

Bゼミとは小林昭夫氏が1967年に創設した”現代アートの予備校”2000年まで続いた
現在のワークショップの先駆け的な活動であったともいえる
横浜のBank Art school もBゼミの精神を受け継いだ機関のひとつ
現在活躍している現代美術家にも卒業者多く、講師陣にはイ・ウファン、川俣正、中沢新一etc.

ポイント→
カリキュラムは無し。とにかく"自由"
作家同士の対話・議論を中心にしていた
”芸術は人から教わるものではない”ただしBゼミには良質な人との関わり合い
”易しさではなく優しさ”:芸術をわかりやすく説明しようとかではなく、難解さや困難さはそのままに探求、対話しようという姿勢
主宰者であった小林氏は対話や議論をひたすら”聞く人”であり思想的な人物であった

【質問】
Q.授業は実際どんな内容だったんですか?
A.例えば、川俣正の他者になりきってみるワークショップや見つけたものを積み上げてみるというワークショップ、池辺晋一郎の楽器をつくってみるワークショップなどがありますね

Q.受講者は卒業とかあったのですか?なぜなくなってしまったんですか?
A.基本2年間学ぶという事になってました。学校法人となる誘いもあったそうですか、全て断っていたそうです。仮設的性を大切にし、時点・地点のようなものを目指していて、法人化は、Bゼミ自体のコンセプトを失うと考えていたようです。
終わってしまった原因は様々ではあるが、小林氏自身が伝えたい事を伝えきったという思いもあったようです。


大きな羊のみつけかた―「使える」美術の話 (仙台文庫)大きな羊のみつけかた―「使える」美術の話 (仙台文庫)

齋 正弘

メディアデザイン 2011-01-31

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【紹介者:真木まどか】

齋正弘は宮城県立美術館の学芸員であり、造形作家でもある
本の冒頭で
“美術の「美」は「羊」が「大きい」・・・羊が大きいと美しいのか?
いやいや、「美」は「びっくり」の「び」だ”
とはじまり、
“美術館はたくさんのびっくりが集まっていていつでもそれを訪れ見れる場所である”
という。
美術や図工はなんのためなのか?とい事を考察している。
美術は難しいものではなく“私たちがうんざりするほど知っているもの”
美術は“人間存在拡大のため”でありみんな異なっているという事気づくためのもの
ひとりの個人として自分を意識する装置でもある
“表現行為としての鑑賞”を提唱
子どもたちに伝えたいこと→新しい事を学ぶというより、自分の持っているもの・知識で鑑賞する力
見ているものから読み取る力

ポイント→とてもわかりやすく、鑑賞教育に関する良書

【質問】
Q.質問というよりコメントですが、美術の「美」の語源に関しては、かつては羊を生贄する儀式があったが、その時大きい羊が良いとされたという事からと聞きました。
美術の誕生は信仰・儀式が元となっていますが、そうゆう意味で必ずしも美術は美しいものではないという事も考えられますね。
A.確かに。ここでは子ども向けという事でわかりやすい解釈をしたのだと思います。
A2.確かに、斬新ですね、「びっくり」という解釈



私の中の自由な美術―鑑賞教育で育む力私の中の自由な美術―鑑賞教育で育む力

上野 行一

光村図書出版 2011-02

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【紹介者:清水覚子】

上野行一は美術のよる学び研究会という団体を主宰
対話型鑑賞教育の学校への導入をすすめている。
作品の見方は教えるものではなく、ひとりひとり自分の感じたように見れるようにすることが重要
例えば:60年代の美術の授業では提示された作品に感想を選択式で選ぶような問題が作られたけど、それは間違った教育だ。

ポイント→
多くの絵画作品を事例に出して、実際の対話型鑑賞の対話記録も載っていて、ライブ感をもって作品の鑑賞の仕方をイメージできる。
対話型鑑賞をロラン・バルトのテクスト論と同様のように考えていて、「なるほど」と思った
“(文学)作品はテクスト(文章)として捉えれば作者の記名なしに読まれるものであり、読者によって意味が生産される存在となる”を美術作品にも同様の事が考えられる。
個人的に私たちは日常的にすでに実践してると思う。
例えばアニメ・マンガがそうで、マンガ→アニメ→実写ともともとのマンガの意図からどんどん離れて作品は発展している。例:荒川アンダー・ザ・ブリッジなんか最近実写化された

【質問】
Q.質問よりコメントですが、作品の感想を選択肢から選ぶっていうのは、例えば美大の入試で現在も行われている「提示される作品を元に論述をしろ」という入試にも通ずるところがある。作品の個人的な見解を評価する、合否をそれで決めるという意味で。それって問題なのかもしれない。



虹の理論 (講談社文芸文庫)虹の理論 (講談社文芸文庫)

中沢 新一

講談社 2010-01-08

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【紹介者:河はるみ】
レヴィ・ストロースの言及が多い
虹とは、
大地の神様である蛇が怒った時、空に上り虹となって現れると信じる民族がいる
虹は全ての勝ちを平等にすると信じて、虹の出たところに市場を置く民族がいる
その虹の各色の間は色の粒子が行き来している:異なる2色を近づけるその部分は極小のインターバルとなっている
“極小のインターバル”という概念
絵画ではモノクロとカラーの間
音楽では音と音の間を近づける半音
神話では毒が生と死の間

ポイント→
哲学入門として良書、レヴィ・ストロースは『悲しき熱帯』から入ると楽しめる。
この“極小のインターバル”、芸術作品では美術家と鑑賞者にを作品展示というのが極小のインターバルと成り得るではないか

【質問】
Q.美術家と鑑賞者における“極小のインターバル”がはっきりしないんですが
A.美術家と鑑賞者は普段対極的な立場にいる。しかし作品が展示されている場では、両者の差がほとんどなくなる、鑑賞するという行為もひとつの創造的行為であるから。
A2.確かに
向井周太郎が“個人的なものが作品になることがある”
デザイン学の考え方に“アートは静止したものではなく、運動体である”というのがある
その辺りが“極小のインターバル”に共通していると思う


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