最近興味のあることについて、書いてみようと思います。
***********************************
突然ですが、バトンを、横トリ(横浜トリエンナーレ)で、受け取っています。
仕掛人は田中功起さん。彼は横トリに出品されています。
横トリ会場(横浜美術館)にあるのは、
1番はじめは、田中さんが自転車で旅をする映像です。
ここに写っているのは「何気ない」風景です。劇的な起承転結を求めて見ると、つかもうと思ってもつかめなくなってもどかしさを感
ここでピリッと効いてくるのが「 A painting to public」というタイトルです。inでもofでもなくto。
また、「自分が旅で見た風景」ではなく「旅をする自分」
かといって、全てが映っているわけではなく、
映像をもうひとつ。
美容室での一場面でしょうか。複数人で一人の髪の毛を切っています。
綿密な話し合いにはじまり、こわごわと、あるいはにこにこしながらヘアスタイルを完成させていきます。
これらの映像では、日常ー特に自分と周りの人々や物との関係性が示唆されているかのよ
ところで、この作品は「いつ、どこに」あるのでしょうか?
実際に映像に映っている行為が行われているところ?
映像を見る会場?
それとも、紙に書いてあるURLで映像を見ているところ?
どれも作品と言える、
例えば横トリの会場(横浜”美術館”)にあるのも過程です。
帰ってから再びネットで見ても(見なくても)よし、いつどこで誰と見てもよし。
作品を種に友だちと話すのもよし。
ここで起きているのは、受け手が作品を作るという転倒です。
作品は、周りを巻き込みながら育ち続けます。
1998年、フランスのキュレーター、ニコラ・ブリオーは『
日本語で言えば、「関係性の美学」。
例として挙げられているのが、
物ではなく、
これはどこか田中さんの作品との関連がありそうです。
(ちなみにですが、『relational aesthetics』はもうすぐ日本語訳が出るはずです。
また、「関係性の美学」に対して『表象5』にクレア・
これらの論に対しても、一部では「
何はともあれ、多くの人が関係性の美学に関心を持っていることがわかります。)
さて、アートに限らない話をします。
日々生きていく中では、目的の達成こそが目的なのでしょうか?
それではいつまでも「実り」
そのような問いを田中さんの作品ーあるいは「関係性の美学」の光の当たる作品は発しているようです。
一方で、目の前がいくら輝いていても、
ではどうすべきなのでしょうか?
ということで、
もちろん、ここでリレーを止めてもかまいません。
また、このバトンは、いつでも、どこでも、誰にでも、
***********************************
美術館に興味のある皆さんは、これをどう受け止めますか?
とっても気になります。
0 件のコメント:
コメントを投稿